前編稚内の記憶を巡る

尾崎兄弟が高校生まで過ごした稚内。
当時の記憶をDAIKIさんと一緒に振り返りながら、稚内のWOW!な思い出を旅しよう。

BBHF MEMBER

尾崎雄貴
(Vo,G)
尾崎和樹
(Dr)
DAIKI
(G)

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稚内の丘と風、
香りの記憶。

皆さんは「稚内」と聞いて、まずはどんな景色を思い浮かべますか?

雄貴: Galileo Galilei時代の歌詞にもよく登場していたのですが、稚内って「丘」がすごく多いんです。僕が通っていた学校も丘の上にあって、そこから街や海を見渡すことができたんですね。絶景ポイントは他にもいっぱいあると思うんですが、僕が一番に思い浮かべるのは、その景色。特に通っていた中学校から見下ろす風景がすごくキレイで、結婚してから家族も連れて行きました。

和樹: 僕は潮の匂い、ですかね。子どもの頃は、漁に使う網や浮きが置いてある港近くの広場で遊んでいて、その景色が原風景として記憶に残っています。

雄貴: 港ならではの匂いがあったね。住んでいた家が港のすぐそばだったから、朝方になると漁船の「ゴゴゴ…」って音が結構聞こえて。それもすごく好きだったなぁ。

DAIKI: 僕はまだ稚内に行ったことがなくて、原風景はないのですが、最北の街ってことで寒いイメージを勝手にもっていました。でも、2人に聞くと、そんなに寒くないみたいで。

雄貴: 気温はそこまで低くないんだよね。だけど、風が強い(笑)。そうだ、その記憶もすごくあります。息をするのも大変なぐらい向かい風がずっと吹いていて、学生時代は女子がいつも髪を気にしながら歩いていました。

和樹: 潮風なんで、ベタつくんですよね。その風のせいで寒く感じるんだけど、気温を見るとそれほど低くないっていう。

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ドームと埠頭と
管制塔。

雄貴さんにとっての思い出深い場所って、どこだったりするのですか?

雄貴: やっぱり「稚内港北防波堤ドーム」1が思い出深いですね。僕らが住んでいた家も近かったので、よく友達と遊びに行ったり、釣りに行ったりしました。

北防波堤ドームは見た目も個性的で、稚内を象徴するスポットですね。

雄貴: お店があるわけじゃないし、行ったからって何かある場所ではないんです。だけど、あそこはドーム自体がものすごく大きくて荘厳なイメージがある。それに行くと分かるけど、すごく風が強い場所だったりします。僕らがメジャーデビューして東京に出る直前、高校生活最後のライブを北防波堤ドームの前にある北埠頭の広場でやらせてもらったことがあるんですね。そのときの映像にはめちゃくちゃ風が強い様子が残っていて、しかもスピーカーがぶっ倒れて、危うく巻き込まれそうだったのをヒュンと神回避しているシーンも映っています(笑)。

それはすごいですね・・・。

雄貴: 風の強い日に行ったら、「そりゃあ、ここに防波堤ドームを建てるよな」って思いますよ。あのときはまだ雪が積もっている中、たくさんの人が集まってくれて。すごくうれしかったですね。

Galileo Galilei時代にはタイトルがそのまま「稚内」という曲や、地元をモチーフに書かれた曲がいくつかありましたね。

雄貴: 「稚内」は僕らが稚内でやってきたこと、当時のベースの佐孝(仁司)くんの家のガレージでバンドの練習や録音をしてきたことを歌っています。稚内の場所をイメージして書いたというなら「管制塔」ですね。あの曲は初めて書いたオリジナル曲で、稚内の「開基百年記念塔」2を管制塔に見立てて書いた曲。あそこは僕らの生活圏から常に見えていた場所で、これまで書いた曲の中で最も直接的に稚内のシンボルを曲にしたなって思います。

1稚内港北防波堤ドーム[WOW 14]

北海道遺産にも選定されている、稚内の強風と高波を防ぐために考案された防波施設。Galileo-Galilei時代の楽曲「僕から君へ」のMV撮影にも使われており、映画「管制塔」のロケ地にもなっている。

ACCESS: JR稚内駅から歩いて約5分

2開基百年記念塔[WOW 20]

稚内公園の丘陵上にある記念塔。雄貴さんはこの塔を管制塔に見立てて曲を作り、2011年にはその曲をモチーフに稚内もロケ地になった映画「管制塔」(監督:三木孝浩、主演:山﨑賢人、橋本愛)が製作された。

ACCESS: JR稚内駅からクルマで約10分

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白い道と
ミルクロードの美しさ。

和樹さんが思い出に残っている場所はどうですか?

和樹: 街から少し離れた場所に「宗谷ふれあい公園」3という、大きめの公園があって、遊具がめちゃくちゃいっぱいあるんですね。子どもの頃は、そこで遊ぶのが楽しみでした。改めて調べたら、今はBBQを楽しめたり、キャンプもできるみたいなので、次に実家に戻ったときはそこで焼き肉とかしてみたいなって思っています。

当時から変わっていることもあるのですね。

和樹: 逆に当時は知らなかった場所もあります。例えば、稚内の観光名所である「宗谷丘陵」4には「白い道」5という、ホタテの貝殻を再利用して敷き詰めた白くて長い道があるのですが、自分たちが住んでいるときは街の絶景スポットに足を運ぶことなんてなくて。久しぶりに実家に戻ったときにその存在を知って行ってみたら、ものすごい美しい場所で「稚内にこんなところがあったんだ!」って感動しました。

雄貴: 僕の中では「ミルクロード」6も忘れがたいですね。稚内市の東の方に「声問」という地域があるのですが、夏になるとおばあちゃんとよく昆布漁のアルバイトに出掛けていて、そこに行くときにいつも通っていた思い出があります。風力発電の風車が何台も並んでいるくらい風の強い場所ですが、そこもすごくキレイな風景が広がっています。

DAIKIさんは稚内で気になっているところってありますか?

DAIKI: どこだろう・・・。個人的にはその土地に行ったら、そこにある温泉に行きたいという願望があるので、稚内でも温泉に行きたいな。

雄貴: それなら「童夢」7だね。

和樹: 温泉といえばそこだよね。僕らもめっちゃ連れて行ってもらった。

DAIKI: そんなにいいんだ?

雄貴: DAIKIくん、好きだと思うよ。雰囲気も堪らないものがある。

和樹: 僕らが行っていたときは温泉に入って、ゲームセンターで一回ゲームさせてもらって、アイスクリームを食べて帰るのが定番。「温泉に行くよ」ってなったら、もうウキウキでテンション上がってました(笑)。

DAIKI: サウナもある?

雄貴: あると思うよ。

DAIKI: ということは、最北のサウナか。それは入りたい!

3宗谷ふれあい公園[WOW 35]

65.3ヘクタールの広大な敷地にパークゴルフ場や20種類以上の遊具で楽しめる冒険広場などが広がる複合レジャー公園。冬にはスノーラフティングなども楽しめ、南極で使われる雪上車に乗ることもできる。

ACCESS: JR稚内駅からクルマで約20分-JR稚内駅からバス(声問線)で約35分「ふれあい公園」下車

4宗谷丘陵[WOW 03]

氷河期に形成された起伏のある緑のなだらかな大地が、明治時代の山火事によってあらわになった特徴的な景色が広がる日本最北の丘陵地帯。一帯には57基の風力発電が林立し、放牧された宗谷黒牛も見られる。

ACCESS: JR稚内駅からクルマで約45分 宗谷岬から歩いて約15分

5白い道[WOW 04]

2011(平成23)年に当時の市職員を中心とした観光関係者のアイデアで誕生した観光名所。ホタテの貝殻を敷いた道は踏み心地が優しく、インスタ映えするスポットとしても人気を集めている。

ACCESS: JR稚内駅からクルマで約1時間 JR稚内駅からバス
(天北宗谷岬線)で約40分「宗谷」下車、歩いて5分
稚内空港からクルマで約20分 宗谷岬からクルマで約10分

6ミルクロード

市民から「ミルクロード」という通称で親しまれている、稚内市街地の南側と稚内空港を結ぶ広域農道。道中では近くに7基の風車が並ぶ光景も見られる。

ACCESS: JR稚内駅からクルマで約15分

7稚内温泉「童夢」[WOW 29]

市民の憩いの場にもなっている日帰り専用温泉。11種類の浴槽でバリエーション豊かな湯を楽しめ、日本最北の温泉として「入湯証明書」も発行している。

ACCESS: JR稚内駅からクルマで約15分
JR稚内駅からバス(緑町線)で約20分「稚内温泉前」下車

01 / 03

青春の神社、
推しのラーメン。

DAIKI: 僕が他に聞いていたのは、稚内にはちょっと異文化な雰囲気があるというところで、そこもちょっと気になっています。

雄貴: 「稚内中央商店街」8という商店街があって、そこのお店の看板は日本語じゃなくて、ロシア語で書いてあるんです。

和樹: サハリンが近いので、ロシア語が街中のいろんなところに書いてあります。

雄貴: その商店街の近くに「北門神社」9っていう神社があるんですけど、そこは稚内市民だったら外せないスポットだと思います。稚内のお祭りは8月にある「稚内みなと南極まつり」10が有名ですが、7月にも「北門神社 例大祭」っていうお祭りがあって、僕らの学生時代はアメリカの「プロム」のように女の子を誘って行くようなイベントだったりしたんです。普段はそれほど賑わっている場所ではないんですが、住んでいた記憶の中で、すごく印象深い場所の一つになっています。

DAIKI: 僕が住んでいた雨竜町も似たようなお祭りで、「初夏んまつり」っていうのがあった。そのときも同じように女の子を誘ったり、先生も来たり、みんな集まっていました。

和樹: お祭りは街の一大イベントだよね。

雄貴: お祭りの数日前になると、商店街の電柱とかに電飾とかが付けられ始めたりして、そこから開催までの、みんながソワソワしている空気感も、すごく好きでしたね。あと、稚内中央商店街の中には「フナヤマ」っていうCDショップもあって、そこに自分たちのバンドのCDを置いてもらったのもすごくいい思い出です。

稚内といえば「タコしゃぶ」などのグルメもあります。「食」についてはどうですか?

雄貴: 稚内では昆布など地元の食材を使ったラーメン11が多くあります。中でも僕は「らーめん 青い鳥」が好き。稚内のオススメを聞かれたときにはよく推していました。そこは昆布のような海藻の風味を感じさせる塩スープが特徴的で、いろいろなラーメンを食べてきたけれど、あそこでしか食べられない稚内の味です。

和貴さんのおすすめは?

雄貴: 居酒屋の「つぼ八」でしょ?

和樹: 一番行ったお店という話だったら、「つぼ八」になっちゃいますね・・・。

雄貴: しかも必ず頼むのは「カリカリチーズ」(笑)。尾崎家では「つぼ八」と、今は無くなっちゃった焼肉店が外食のツートップだったんです。

和樹:稚内は海鮮が美味しいので、そういうお店を紹介できればいいのですが、住んでいた頃はまだ学生で、お酒も飲めなかったので。あ、でも、つぼ八もある「オレンジ通り」12にはいい感じの居酒屋13がちょこちょこあって、そこだときっと美味しいお魚が食べられるはず。ぜひ行ってみてほしいです。

8稚内中央商店街

市民から「中央アーケード街」とも呼ばれるJR稚内駅西側に連なる商店街。90年代にロシアのフェリーが乗り入れていた関係から、お店の看板の多くがロシア語で表記されている。Galileo GalileiのCDを置いていた「フナヤマ」の中央店もある。

ACCESS: JR稚内駅から歩いて約5分

9北門神社[WOW 36]

市民から「ミルクロード」という通称で親しまれている、稚内市街地の南側と稚内空港を結ぶ広域農道。道中では近くに7基の風車が並ぶ光景も見られる。

ACCESS: JR稚内駅からクルマで約15分

10稚内みなと南極まつり[WOW 32]

毎年8月第1土曜・日曜に稚内中央商店街周辺で開催されているお祭り。稚内が南極ゆかりの地であることに由来する祭りで、「北海てっぺんおどり」と「南極おどり」の2つの踊り、2,500発もの大花火大会などが行われ、夏の稚内を熱く盛り上げます。

ACCESS: JR稚内駅から歩いて約5分

11稚内のラーメン[WOW 43]

地元の昆布やウニ、カニ、ホタテなど稚内には魚介をふんだんに使ったラーメンを提供しているお店が多くあります。シンプルながら旨みが深い稚内ラーメン。グルメ雑誌等でも紹介される実力派です。

12オレンジ通り

JR南稚内駅から伸びる飲食店街。漁獲量日本一のホッケやミズダコをはじめ、稚内の新鮮な海産物を味わえる居酒屋が多く建ち並ぶ。北海道発祥の居酒屋チェーン「つぼ八」もあり、尾崎兄弟もこの通りにある「南稚内店」をよく利用していたそう。

ACCESS: JR稚内駅からクルマで約10分

13稚内の居酒屋[WOW 40]

日本海とオホーツク海の2つの海に面している稚内は、日本でも有数の魚介の宝庫。漁獲量日本一のホッケやミズダコをはじめ、とれたて新鮮な海の幸が豊富で、居酒屋のレベルも高い。

01 / 02

空が広い稚内には、
特別な何かがある。

雄貴さんと和樹さんにとって、音楽的なルーツとなった場所を挙げるとしたらどこになりますか?

雄貴: それはやっぱり「稚内総合文化センター」14ですね。中に立派なホールがあって、そこで吹奏楽部のコンクールに参加したり、全道大会に行くまでの練習をしたり、学校の合唱コンクールもそのホールでやりました。

和樹: 僕も同じ吹奏楽部だったんで、そこにすごく思い出があります。中学生の頃の文化活動発表会などの催しも学校の体育館じゃなくて、すべて文化センターのホールで行われていたので。

雄貴: 僕らが居た頃はまだ稚内市に映画館がなくて、「ポケモン」や「とっとこハム太郎」、「ゴジラ」といった映画も文化センターのホールで見ました。そういう意味では街のエンターテインメントすべてが行われていた場所だったんですよね。人生初めてのライブ体験もそこで、スピッツが稚内に来てくれたんです。僕らはあそこでライブをしたことがまだないんですが、いつかはと願っています。

和樹: 一度でいいからやってみたいね。

雄貴: 当時、和樹はパーカッションで、僕はトランペットだったんですけど、トランペットって立ち上がってソロを吹くパートがあるんです。そのときに見えていた光景は今もすごく覚えているので、ステージに立てたらその記憶と被って、すごく感慨深いんだろうなって思います。

和樹: 間違いないね。

01 / 02

雄貴さんと和樹さんは自分たちが生まれ育った稚内を、当時はどんな場所だと感じていたのでしょうか?

雄貴: 思い出はたくさんあるけど、特別な場所だとは特に感じてはいなかったかな。すべてを当たり前に思っていたと言うか、小学校の校庭にクマが出ることもよくあったし、そのクマを用務員のおじさんがほうきで追い払う様子を教室から見ていた思い出もあります。今では特別な体験だと思いますけど、当時はそれを家に帰って親に話すかというと、そんなこともなくて。

和樹: クマはよく見たね。

雄貴: ただ、東京や札幌で暮らし、子供がいるような年齢になった今振り返ると、稚内で過ごした時間が自分たちの性格や気質にすごく影響を与えていると思います。稚内には高い建物がなく、ビル街もありません。だから、ものすごく空が広く見える。その空は晴れているよりも曇って薄暗いことの方が多かったりするんですが、離れてみるとそこも好きだし、恋しいなって思うんですね。

そう言われると、雄貴さんが書く詞には「空」や「風」がよく登場しますね。

雄貴: 僕らが都会での生活を感じさせる詞を書こうと思っても書けないけど、稚内で暮らしていたことによって、そのイメージを感じさせる曲はつくることができる。稚内を離れて東京に出たときにも「楽曲から原風景が見える」って言ってもらえたことが何度もあって、それって僕らの身に染み付いたものだと思うんです。それこそが稚内での時間が僕らにくれたものだと思いますし、僕は今、改めて稚内に住んでいたころに感じていた匂いや空の高さなどを大事にしたいし、見つめ直したいなって思っています。

01 / 03

「稚内」を見つめ直す?

雄貴: はい。最北の看板はあるけれど、魅力はそれだけじゃない。稚内には稚内にしか流れていない空気感があるし、風景が広がっています。訪れる人には、そこもぜひ楽しんでもらいたいと思います。ツアーで日本全国を回り、いろんな名所を見てきましたが、稚内という街には他には無い、特別な何かがあります。稚内に来たことがないDAIKIくんにもそれをいつか感じてもらいたいですね。

DAIKI: すごく行ってみたくなったよ。いつか行けるのを楽しみにしています。

14稚内総合文化センター

1984年に開館して以来、市民から愛され続けている多目的文化施設。1293人収容の大ホールと350人収容の小ホールがあり、さまざまな催しが行われている。現在は工事中で、令和4年7月31日まで休館。

ACCESS: JR稚内駅から歩いて約5分

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